「コンクール至上主義になることはよくないとは思いますが、緊張感の中で与えられた課題曲をどう弾きこなすのかという経験は、学生音コンなどに参加しないと中々味わえないと思います。コンクールを「緊張感の中、練習してきた技術と感性を使って曲を表現する場」と捉えることは間違っていますでしょうか?」
との質問に答えて。
ロンドの冒頭スピッカートを完璧に弾ける場合は・・・
小学生のうちは個人差が非常に激しいものです。
4年生くらいまでは、曲が終了すると共にそれまで教えたことも綺麗さっぱり忘れてしまう生徒が多いものです。
それでも6年生になれば、たいていはこちらの言わんとすることがかなり通じるようになり、コンクール直前の追い込みにも対応できる体力がついてきます。
出場するからには当然、その子なりの結果がついてきたほうが良いと思われます。
私見では、学生音コン小学校の部なら、分数ヴァイオリンではなくフルサイズで弾けるようになる6年生くらいまで待ちたいところです。
ただし、低学年ですでに天性のバネと和音に対する感覚を持っている生徒もおり、たとえば、3年生でモーツアルト=クライスラー:ロンド ト長調の冒頭スピッカートを完璧に弾けるような場合は、5年生で出そうと考えます。
「入賞するまで」と頑張りすぎるリスク
分数ヴァイオリンの場合、どうしても2分の1から上のサイズに移行する際に、左手が崩れます。
もちろん上手いと見られている生徒は、そこを何とかして弾いてしまいますが、できるだけ早い段階で左手を鍛え直さないと、骨が固まり始める中学生時代に限界が来てしまいます。
また、小学校の部あるいは中学校の部に入賞するまで、あるいは1位を取るまでと頑張って出し続けると、一握りの生徒を除いては、高校に入った途端に「燃え尽き症候群」にかかる場合が見受けられます。
そこから這い上がって、さらに日本音コン、あるいは国際コンクールを目指す道のりには、非常に厳しいものがあるでしょう。
特に生徒は大人が走らせると、本人の限界を超えていても素直にどこまでも走ろうとします。
子供の力量を見定めて、ストップを掛けるのは指導者の役割と言えるでしょう。
先を見据えた小学生段階の戦略
基本的には、小学生のうちは、まずセブシックとシュラディックで基礎固めをし、発表会ではやや難易度の高い曲に挑戦させる。
長い曲をまとめる構成力がついてきたら、6年生でコンクールに出して追い込まれた場合に何が起きるかを確かめた上で、次の1年は理論と共に左手なり右手なりを徹底的に鍛え直す時間を取る。
先々を考えると、このような計画で進めたいところですが、勿論、これは生徒の経歴や性格によっても変わってきます。
コンクールの予選・本選の課題曲は、一見かけ離れているように見えて、実際は深いところで連関しているものです。
コンクールに臨む際に予選の課題曲だけを練習するわけではありませんから、本人が予選曲と本選曲のつながりの一端でも体得できれば、その後の練習に生かすことができるでしょう。
また、コンクールの課題曲だけを練習する方法では、年齢が上がるにつれ、直前になって崩れた場合に立て直しがきかなくなりますから、多くの指導者はそれに合わせてスケールとエチュードを平行して学習させているはずです。
特にスケールはどんなに忙しくても、何とかやりくりをして練習時間をとるべきでしょう。