バッハの無伴奏ならここまで
バッハの無伴奏を例にとると、音高受験であれば声部の弾き分けまでは要求されませんが、「全日本学生音楽コンクール」(学生音コン)の中学校の部で入賞を目指すとなれば、話は別です。
ここはゼクエンツ(※1)で、ここからは機能和声(※2)だから音程のとり方も違ってくる、オルゲルプンクト(※3)の弾き方はこう、と細かく指導していくことになります。
本人に任せておくと、大抵は「そう変ではないがコンクールでは通用しない」レベルにしか到達しません。
「学生音コン」は、将来のソリストを選抜するためのコンクールであり、審査基準は一般人が聴いて感動するかどうかではなく、専門家が聴いてどうかのレベルに設定されています。
生まれつきバロックの書法が分かっている人間など一人もいませんから、ルールを教え込む必要があります。
まれに一を言えばぱっと分かる生徒もいますが、専門を目指すとなれば、ほぼ例外なく小さい頃から鬼のような?母親(父親でもいいのですが)がついて、みっちり勉強することになります。
※1)ゼクエンツ:あるフレーズを音の高さを変えながら反復させること。
※2)機能和声:和音にそれぞれ異なった機能・役割を持たせること。機能はトニック(主音)・ドミナント(属音)・サブドミナント(下属音)に分かれ、バッハの曲の旋律は機能和声を土台に書かれている場合が多い。
※3)オルゲルプンクト:低音で持続する音。例えば、バッハ:無伴奏パルティータなら第3番ガヴォットの後半等に特徴的に現れる。
予選通過の顔ぶれを見てレベルを上げることも
目標が「学生音コン」の予選通過ではなく、本選で入賞狙いとなると、生徒にも相当の負担がかかりますから、どこまで引っ張るかはその生徒のポテンシャルな能力との相談になるでしょう。
その年度の予選通過者の顔ぶれを見て、この子は○○門下だから本選はここまでは仕上げてくるだろうと予想し、レベルを二段階上げたりもします。
本人がついて来ることができれば結果が出る可能性がありますが、たとえリハーサルでいけると思っても、本番では何があるかわからないリスクは常に抱えることになります。
ソリスト志望者の大半は、このようなサイクルを1、2年単位で繰り返します。
指導者の側で「この生徒、この家庭なら行けるだろう」と思っても、見込み違いの場合もあります。
「専門教育」は「情操教育」とは異なる
原則15歳でデビュー、高校までで入賞歴がなければ切り捨てというポリシーの指導者もいるくらいで、そのような場合は門下生とその家族が金縛りにかかることもあり得ます。
あまりにひずみが強く出るようなら、「分からない子には教えない、かわいそうだから」という方針の先生に替わって、時機を見るのも一法でしょう。
野球では甲子園組でなくとも活躍しているプロ選手がいるのと同じで、本人の「時期」がまだ来ていないだけなのかもしれませんから。
いずれにしろ、「学生音コン」レベルのコンクールで結果を出そうと思ったら、「好きな音楽を通して豊かな人間性を」といったような情操教育とは別の、しかるべき覚悟を伴う専門教育の次元の話になってきます。
日本では、どうもこのまったく違う二つの教育が混同されがちで、「もって生まれた音楽性はそのままでどこでも通用する」「好きに弾かせてくれない先生が悪い」と信じきっている保護者も多いようです。
音楽そのものよりもサイドストーリーが売り物になる時代ですから、ある意味仕方のないことかもしれませんが。