いつか新型コロナウイルスが終息して、日常生活が戻り、経済活動が再開される日が来るだろう。
しかし「3密」のリスクがあるコンサートの再開は、そこからさらに時間を要するかもしれない。
クラシック音楽のコンサートは、聴衆が整然と席に座り、静かに音楽に耳を傾ける。
ロックやポップスのコンサートやライヴに比べれば、リスクは軽減される。
しかし公演の規模や編成による違いはある。
大編成のフルオーケストラの公演とヴァイオリンの無伴奏ソロのリサイタルとでは、リスクの度合いはかなり異なる。
ある程度の長期戦も覚悟しなければならない状況の中で、コロナの時代の新しいコンサートの形について想いを馳せてみた。
舞台も客席もプログラムも日程も「密」を避ける
ステージ上の演奏者は最小限の人数で、複数の場合は必ず2メートルの間隔をあける。
まずはピアノや弦楽器のソロから。
その後、デュオ、アンサンブルの小編成へと移行し、管楽器と声楽も加わる。
ソーシャルディスタンスのルールがあると、ステージに上がる演奏者の数は限られる。
フルオーケストラの編成は、ルールを守る必要がなくなってからとなる。
客席も間隔を空けるので、ホールのキャパシティは半分になる。
聴衆は必ずマスクを着用し、曲間や楽章間の咳払いは抑える。
拍手だけで、ブラボーのかけ声はなし。公演中はホワイエでのお喋りも禁物だ。
音響効果の問題よりも、換気の徹底が優先されるので、ホールのあらゆる扉や窓の開放を検討する。
従来型の休憩を挟んだ前後半のプログラムは時期尚早で、まずは1回の公演は休憩なしの1時間以内に収める。
長い楽曲は当面演奏できない。マーラーの交響曲をフルオケで聴ける日はかなり先だ。
公演は単発が基本だが、どうしても複数公演となる場合は、演奏者やスタッフの感染発生のリスクに備えるため、少なくとも2週間は間隔をあける。
本来の形にはほど遠い。不完全で、制約ばかりで、息がつまる。
しかし、どのような形であろうとも、無観客のライブ配信では得られなかった心が震える感動がそこにはある。
演奏家と同じ時間、同じ場所に身を置き、生の音を直接耳にするという、あのかけがえのないコンサート体験。
それを今、私たちは心の底から欲している。
どんな音楽でも泣く自信がある
新型コロナウイルスが音楽や演劇など、芸術・文化へ与える深刻な影響について問われた作家・平野啓一郎氏は、「芸術・文化が社会に不可欠だと骨身に染みている」とし、次のように語った。
「僕は、コロナ明けに行く生のコンサートは、どんな音楽でも泣く自信があります。1曲目から最後まで泣き続けているかもしれない。演奏家も泣いていると思う。いま想像しただけで涙ぐんでしまう。」
「作家・平野啓一郎が見通す「新型コロナの2020年代」――「自分さえよければ」という生き方では社会が壊れる」(ヤフーニュース)
まさに、私たちは生のコンサートに「渇している」。
あの日の彼のように。
長い間耳にしなかったヴァイオリンの本当の音色に、打ち震え、涙を流した小林秀雄のように。