神童だった少女時代からの演奏活動歴は、実に70年以上。
20世紀のレジェンド、イダ・ヘンデルが、2020年6月30日にその生涯を閉じた。
以下に、かつてブラースムのヴァイオリン協奏曲について語ったインタヴューの一部を抜粋して掲載する。(Source : “The Strad”)
9歳、まるでイザイが弾いているような
イダ・ヘンデルの生年は1923年(※)から1928年まで諸説ある。
インタビューでは1928年説に立っているが、かりに1923年生まれで当時14歳だったとしても、ブラームスを弾く年齢としては極めて早い。しかも、プロムス という大舞台である。
この時の指揮者ヘンリー・ウッドは、イダ・ヘンデルの演奏に感銘を受けて、後にこう書いている。
「彼女があの協奏曲を見事な響きと情感で弾きこなすのを聴いていると、まるで私の横で旧友イザイその人が演奏しているのではないかと思ったほどだ。」(ジャン=ミシェル・モルク著『偉大なるヴァイオリニストたち』 ヤマハミュージックメディア P247~248)
“本能で弾く” は正解だった
ブラームスのスコアを研究し、他の演奏家の演奏を聞くようになった20歳の頃に、イダ・ヘンデルは、ある結論に辿り着く。
力強く、同時に哀感と叙情性に富んだブラームスの協奏曲。
ロマンチックな第2楽章を弾くと、今でも涙が出るというヘンデル。
偉大な指揮者の思い出
ブラームスの第1楽章、雄大なスケールで始まる第1主題提示部。協奏曲のオープニングでは、指揮者とオーケストラの真価が問われる。
1952年、イダ・ヘンデルはチェリビダッケ指揮ロンドン交響楽団とブラームス:ヴァイオリン協奏曲を録音した。
極めて要求度が高いと評判で、とても辛口で、結果には決して満足しないというチェリビダッケとの共演だったが、彼はヘンデルのやりたいことをすべて認め、受け容れたという。
photo by Amanda Slater
イダ・ヘンデルの1923年生年説について
ヘンデル自身がストラド誌のインタヴューに語ったところによれば、1937年にイギリスのコヴェント・ガーデンでトーマス・ビーチャム指揮によるコンサートがあった時、14歳以下は出演できない決まりであったために、エージェントとヘンデルの父が相談して、ヘンデルを14歳だと申告して出演させた。以来それが記録されてしまったという。