セレブな「おけいこヴァイオリン」、その実態は・・・
ヴァイオリンと言えば、お金持ちのお嬢様の習いごとの典型だった時代があります。
最近は少々事情が変ったとはいえ、今でも、特に地方都市では、ヴァイオリンケースを抱えて街を歩く子供とその親には、自他ともに認める、そこはかとないセレブ感が漂っているようです。
ヴァイオリンを習うことは特別なこと、と周囲も思っているし、自分たちも、そこにある種の優越感を感じることができる。
そういう雰囲気が、ヴァイオリンのおけいこにはつきものです。
しかしながら、そのイメージと現実がこれほど異なるおけいこ事も、他にありません。
イメージだけに惹かれて習い始めてはみたものの、人はすぐに、ヴァイオリンでまともな音を出せるようになるまでに、どれほどの忍耐と努力が必要なのかを、思い知らされることになります。
努力したらうまくなるかというと、資質的な向き・不向きも加わって、簡単にはいきません。
持って生まれた音感がないと、この先厳しい、という現実に突き当たることにもなります。
そして、そこそこ弾けるようになったとしても、それなりのレヴェルになろうと思えば、それなりの先生につく必要があります。
当然、そういう先生は恐くて、厳しい。要求されるものは高く、レッスン料も高い。
それなりのレヴェルになろうと思えば、また、それなりの道具(=楽器)が必要となります。
そういう楽器は当然、高い。
結果として、日常の遊びやレジャーや息抜きを最小限に留め、勉強は良くも悪くもない程度にしておいて、残りのすべての時間・労力・お金をヴァイオリンに注ぎ込む。
「家族総動員体制」。
極端な場合、そこまで行きます。
そう、ヴァイオリンを習うということは、やはり特別なことなのです。
さて、このシリーズは、かくのごとく「家族総動員体制」下に置かれた、凄まじくも哀しい「鬼親」の皆様方の実態を、数々の証言をもとに、活写していきます。
星一徹は、飛雄馬と明子の前で、ちゃぶ台をひっくり返して怒りました。
しかし、その程度では済まないレヴェルの、いつ果てるとも知れない恐ろしい日常が、一見セレブなヴァイオリンのおけいこの世界の裏側に秘められていることが、これからご紹介する様々な証言によって明らかになっていくことでしょう。
* 尚、言うまでもなく、このシリーズはすべてフィクションです。
photo credit: Cherylblossoms Resident – AWAY FROM SL via photopin cc