ジュリアード音楽院で多くの優秀なヴァイオリニストを育てた名教師ドロシー・ディレイ(1917~2002)。
その門下生には、五嶋みどり、ギル・シャハム、サラ・チャンなど、コンクールを経ずに一流ヴァイオリニストとしてのキャリアを確立した人が多くいます。
コンクールでは、著名な指導者が審査員を務め、自らの門下生をそのコンクールに出場させるケースがあります。
自分の弟子を入賞させたいという「主観」は、審査の公正性を歪めてしまうことにならないのか。
コンクールの審査に、常につきまとう疑問です。
ドロシー・ディレイは、そんなコンクールとは一定の距離を置く姿勢をとりました。
コンクールが時に政治的となる点を指摘し、門下生には出場するコンクールを慎重に選ぶよう指導していました。
(コンクールには)見え透いて政治的なものもあり、そういうコンクールは避けなければなりません。
審査委員会が、好みがあまりに違った人達で成り立っていることもあり、各人が、ストラヴィンスキーはいかに弾くべきか厳密に知っていると思い込んでいる。
それぞれの主観が押し通されれば、審査結果に一致点を見い出すことは難しくなります。
その結果は「妥協」です。
審査委員達は、音程が一応合っていて、音もまあまあ良くて、あんまり大きなミスがないといった点でしか合意に達することは出来ないでしょう。
そして、たとえコンクールに優勝したとしも、それがそのまま演奏家としての成功を保証するわけではありません。
(コンクールは)最低の共通点のようなものが優勝者を決定する。優勝者は、一流の国際的演奏家としてのキャリアを踏み出すかもしれないし、あるいは、およそ数ヶ月で忘れ去られてしまうかもしれない。
※引用:バーバラ・L・サンド著『天才を育てる 名ヴァイオリン教師ドロシー・ディレイの素顔』音楽之友社より
「最低の共通点」で合意された、その演奏家に対する評価。
それがコンクール入賞が本来持つ意味だと、ドロシー・ディレイは指摘しています。
いくつかのコンクール入賞を経て、評価を積み重ねていけば、一時の名声を得ることはできるでしょう。
しかし、それはあくまでもスタート地点。
一流の国際的演奏家としてのキャリア形成は、まさにそこからが正念場となります。