東京音楽学校教授でヴァイオリニストの幸田延(こうだのぶ)の妹、安藤幸(あんどうこう:旧姓幸田)は、15歳の時にヴィオッティ「ヴァイオリン協奏曲第7番」を演奏した。
その演奏を当時の「文学界」(1894年7月号)の演奏会評は以下のように論評している。(*一部、旧字を改めて引用)
「技量は此春の時よりも一層の進歩を為したる如く暗譜にて斯かる難曲を奏せられしはまことに天才の名も惜しからず。グリッサンドオの魂を漂わすあたりエキスプレッシオンは美しく濃やかにつきて、特に断腸の思ありしはカデンザソロの部小指のトリル三十二分音符の難渋なる拍子なり。」
グリッサンド(指定音程間のすべての音を滑るように均等に奏する特殊奏法)を駆使した表現の美しさと細やかさとを指摘。カデンツァ(協奏曲の楽章末尾で、ソリストの技巧を際立たせる独奏部分)における難技巧のトリルは、悲しみの情感を醸し出していると絶賛している。
さらに続くこの論評は、安藤幸のスタッカートの非凡さを称えつつ、しかしながら、わずかな傷として次の点を指摘する。
「クレセントオになりて音声の漸く大ならむとする時弓すべりこまを越えて後方の糸に触れしより耳ざわりなる音を出せしことなり。」
ヴァイオリン演奏の技巧的な細部に耳目を集中させ、音楽の専門用語を縦横に駆使して的確に論評するこの論者、まさに恐るべしである。
「されど思へば此過も大に恕す可きものにして此処は鋭意音声を大にせむとして弓に力を篭むるあたりなればことにエキスプレッシオンを重せらるる人にとりては力余りての失策ならむか。」
細部の瑕疵への分析も怠らず、しかしながら安藤幸の豊かな表現力への賛辞という基本的な批評のスタンスは不変だ。
「あやめ」というペンネームのこの論者は当時20歳。実は、詩人で、評論家、英仏文学者でもあった上田敏、その人である。
上田は、その明晰な批評眼と味わい深い文体で、当時音楽評論の分野でも健筆を奮っていた。上記の演奏評でも明らかなように、楽器の奏法に関する知識・理解は並外れており、恐らくヴァイオリンを弾けたのではないかと推測される。
上田敏の翻訳詩集『海潮音』(1905年)に所収されたポール・ヴェルレーヌ「落葉」の訳詩はつとに有名だ。
落葉
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
上田の耳にすすり泣くようにうら悲しく響いたのは、天才ヴァイオリニスト安藤幸のヴィオロンの音色だったのかもしれない。