エチュードは学校側からのメッセージ
課題曲が公表されたときから、教育はすでに始まっています。
この時期発表されるエチュードは、3〜4ヶ月でどれだけのことができるようになったかを見るものであり、また、最低これくらいはできるようになってからお入りください、という学校側からのメッセージです。
その「これくらい」がどこまでかは、単に何とか弾けるレベルから和声、リズム、フレージングと上を見れば限りがないのですが、たかが○○○、すでに一度弾いたことがあるし、となめてかかっていると、直前になって大慌てすることになりかねません。
ヴュータンやヴィエニャフスキをそれらしく弾きこなす子に、延々アルペジオの続くエチュードをあてがってみると、別人のような惨状になってしまうというのは、教師をしていれば誰にでも経験があるものです。
親指の位置、ポジションチェンジの基本などは小学生のうちに教えているのですが、3度、6度のオクターブの重音、フラジオレット等々を詰め込むうちに、その基本が少しづつ甘くなり、その場しのぎの方法に取って代わっていることがあります。
この点では、幼稚園の頃から預かった子も、小6になって預かった子も大差はありません。
時限を設け、基本に立ち返って勉強し直す
手首が人一倍柔らかくとびぬけて器用だったり、巌のように頑固に基本に忠実だったりする極々少数の生徒だけが、エチュードでも曲とのギャップを感じさせない演奏をするものです。
これまでも繰り返し基本練習の重要性を書いてきましたが、例えば去年のコンクールに予選で落ちてから今年のコンクールまで、スケールを毎日欠かさず練習した生徒がどれ程いるでしょうか?
どんな教師でも面と向かって本人の欠点を指摘し、対策を提示しているのですが、肝心の当人が途中で抛り出してしまっていることがあります。
それは年齢に関係のない人間の性で、そこを乗り越えた結果のひとつが、例えばイチローです。大抵の人間はホームランを狙って自らフォームを崩して行くもので、それが普通なのです。
だからこその入試です。
すべてに恵まれて中3夏期講習を前にしても、「人間関係を磨くため」の行事参加を親がプッシュする時代であるからこそ、時限性を設け、その中でもう一度基本に立ち返らなければ弾き通せない課題曲を与えて勉強し直して貰う。そうでもしなければ誰も左手の地道な練習を3〜4ヶ月も続けようとは思わないでしょう。
教育はすでに始まっている、と書いたのはそういう意味なのです。
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